毒舌と暴言の違い、境界はどこにあるのでしょうか?
毒舌と暴言について、辞書には次のように書かれています。
毒舌(どくぜつ)
辛辣 (しんらつ) な悪口や皮肉を言うこと。また、その悪口や皮肉。「毒舌を吐く」「毒舌家」
(デジタル大辞泉 小学館)
暴言(ぼうげん)
礼を失した乱暴な言葉。無礼で、むちゃな発言。「逆上して暴言を吐く」
(デジタル大辞泉 小学館)
毒舌と暴言も、どちらも悪口のことです。
「暴言」は、乱暴な言葉を使うことですが、何が乱暴なのかは、受け止め方しだいですから、よくわからないですよね。
「毒舌」は肯定的に受け止める人がいます。ウィキペディアの説明はわかりやすいです。
毒舌(どくぜつ)
芸能人には、毒舌を売りにする者と、「毒舌」と世間から呼ばれる者とがいる。視聴者からは自分の思っていることを代弁してくれる存在として根強いファンが生まれる反面、批判された相手から侮辱罪や名誉毀損罪で訴えられたり、批判者のファンや支持者から逆に非難されることもある。
毒舌タレントの種類にも、本心で言っているのではなくキャラ作りのために毒舌を利用しているタイプから、多大な批判を受けても「言いたいことを言って何が悪い、非難するのは逆に言論の自由を奪っている」と反論する根っからの毒舌家など様々である。
作家黒河小太郎(田勢康弘)は、『総理執務室の空耳』(1994年)の中で「日本の3大毒舌家」として、ビートたけし・宮澤喜一・京極純一を挙げている(ただし、これはあくまで1994年当時のもの)。
小沢昭一は「えぐったあとに笑いがくるのが毒舌。えぐるだけじゃあ駄目」と発言している。
(ウィキペディア)
「自分の思っていることを代弁してくれる存在」……つまり、毒舌とは「共感」する人がいる発言内容です。
悪口ではあるけれど、一定数の共感を得る発言が「毒舌」なのではないでしょうか。
同じ悪口でも、誰が言ったかで変わってくる。
信用、信頼されている人の発言であれば「毒舌家」が成立し、許される発言となるのです。
似たような言葉で、「放言」というのもあります。
放言は、「いいたいことを言う」という意味で、他人がどう感じるかを考えていないという点で、同じです。
放言(ほうげん)
[名](スル)他への影響などを考えずに、思ったままを口に出すこと。無責任な発言。
「放言して世の顰蹙 (ひんしゅく) を買う」「放言癖のある大臣」
(デジタル大辞泉 小学館)